ロービジョンケア関連情報

特別編 愛知視覚障害者援護促進協議会の歴史

NPO法人愛知視覚障害者援護促進協議会 理事長 高柳泰世(本郷眼科 院長)

2021年7月1日

はじめに

私は名古屋大学医学部の学生の時(1956年頃)、藤田医科大学創立者の藤田啓介先生のもとで生化学研究をしておりました。研究内容が眼科学とも関係があったので眼科疾患について学ぶ機会があり、そこで原因が不明で、治療法もない網膜色素変性症の患者さんとの出会いがありました。その時に視覚代行リハビリテーションの発想が芽生えたと思います。以来人材と環境に恵まれて現状まで来ましたので、その経緯について述べます。

医師はひたすら「治す」ことを考え、患者はひたすら「治る」ことを望みますが、両者の目標が達成されない時にリハビリテーションの発想が必要となります。1969年頃は治らない方たち(多くは網膜色素変性症)は名古屋市鶴舞中央図書館に集められ、原田良實氏から点字の読み書きを教わっていました。愛知における視覚障害リハビリテーションの先駆者は、原田良實氏と言えます。網膜色素変性症は視覚障害のみで、特に日常生活にかかわる問題は起こらなかったため点字習得で終わっていました。全身管理も必要なベーチェット病、次いで糖尿病網膜症が1972年頃から急増してきまして、名古屋大学でも視覚障害原因疾患をどうする?の問題が大きくなり、私は聖霊病院眼科医のシスター上杉と二人で大阪の日本ライトハウスに勉強に行き、資料を沢山頂き、福祉医療の在り方を学び実践しました。

 

開設

1981年は丁度国際障害者年にあたり、愛知県女医会森川みどり会長のお世話で「女性と子供の健康相談」に視覚障害部門を入れて頂き、愛知県医師会長中村道太郎先生のご理解のもとに愛知県医師会難病相談室でも視覚障害の相談を受けることになり、その年の6月に愛知視覚障害者援護促進協議会を愛知県医師会館において発足させることが出来ました。

 

活動内容

当初から4本柱である、1)中途視覚障害者の白杖歩行訓練を中心とした日常生活訓練 聖霊病院の協力を得て視覚障害リハビリテーションワーカー(白杖歩行訓練士)を養成していただきました。

2)晴眼者対象の視覚障害者援護講習会 3)視覚障害予防のための原因疾患調査 4)機関紙「視覚障害者援護のつどい」の発行等と多岐にわたりましたが、それぞれの担当者の視覚障害者のQOL向上の熱い思いと忍耐強い努力により細々ながら今も変わらず活動は続いております。

眼科リハビリテーションという言葉さえなかった当時は、マニュアルなどないまま、関係者の創意工夫で、よりよい方法を編み出してきました。

最初は全盲の方のためと考え、説明書などもすべて点字で作りましたが、1990年頃から残存視覚のあるロービジョン者の方が多いことが判り、拡大文字は一律ではないことを理解し、当事者の見え方に応じた拡大文字、行間なども見やすいように工夫して愛知視覚障害者援護促進協議会独自の拡大本を作りました。当初は18歳以上を対象にしておりましたが、1991年に神奈川県視覚障害援助赤十字奉仕団のご指導を得て、拡大写本ボランティア養成を行い、名古屋、安城、知立、岡崎の4か所で拡大写本活動とロービジョン者の支援方法を学ぶ「ロービジョン訓練講座」を開催して来ました。それぞれ拠点は、名古屋市は名古屋市立今池中学校の体育館準備室の半分を改造していただき、安城・知立・岡崎はそれぞれ社会福祉協議会が場所も提供してくださって、活動しております。

愛知視覚障害者援護促進協議会は当初から視覚障害リハビリテーションワーカーが軸になり、眼科医、メディカルソーシャルワーカー、医療関係者、視覚障害当事者団体、視覚障害関係ボランティアがほぼ同じ目線に立って、連携をとりながらの中途視覚障害者の家庭復帰・社会復帰を援護するグループを作り、専門の持てる力を提供して今日に至っております。

 

愛知視覚障害者援護促進協議会における視覚代行リハビリテーションの流れ

まず視覚障害者→眼科医からの紹介→MSW、視覚障害リハビリテーションワーカーと面接→眼科・内科、耳鼻科諸検査→安全性と機能性の初期評価→リハビリテーションゴールの設定→訓練開始 歩行訓練・コミュニケーション訓練・日常生活訓練→フォローアップ或いは他機関へ紹介→フォローアップという流れでそれぞれ専門家が施行しております。愛知県内の関連施設で、必要な場合連携を取りながら、その障害者に適した訓練を行います。

愛知視覚障害者援護促進協議会の理事は、以下の施設から就任されております。
名古屋大学附属病院、水谷眼科診療所、名古屋市総合リハビリテーションセンター、名古屋情報文化センター、日本介助犬協会、愛知教育大学、愛知県医師会難病相談室、愛知視覚障害者協議会、日本網膜色素変性症協会愛知、本郷眼科の10施設。

1980年代はWHOによる国際障害分類が機能障害、能力障害、社会的不利と定義され、障害者基本法、ハートビル法、障害者プランなどの発表があり、障害等級も視野障害が入り、網膜色素変性症などには適正な等級認定がなされるようになり、1990年代では最後に障害福祉3法の改正、そして新しい国際障害分類が示され、前向きな障害と機能に関するマニュアルが示されました。2000年代に入り、国連で障害者権利条約が採択され、障害者差別禁止法など、次々と障害者の社会参加・共生の道が開けてきております。日常生活用具でもガスから、電気、電磁気と危険度は格段に少なくなりました。コミュニケーションの方法の変貌が最も大きく、音声、イヤホンの性能向上・開発、点字器の改善、音声・点字パソコンの発展、iPadの使用法など長足な進歩がありましたが、ボランティアさんたちも中途視覚障害者も頑張って挑戦され、上達されていく姿は本当にたのもしく、うれしく思います。

2016年5月28日(土)と29日(日)の二日間の愛知視覚障害者援護促進協議会創立35周年記念事業の名称は「ロービジョンフェア」と命名し、医療・教育・就労の連携をメインテーマとして愛知県医師会館で関連の教育講演、講習会、総会講演、シンポジウム、機器展示など沢山のイベントを用意しました。今年40周年を迎えます。『愛知在住時に視覚障害となり気落ちしていましたが、愛視援で様々な訓練を受け、今他県に引っ越しましたが、完全に自立できています。愛知で視覚障害になったタイミングの運の良さに感謝しています。』という手紙を複数頂いております。見えなくなるまで待つのではなく、見えにくくなったら、少しの危険も防ぐように歩行訓練が必要です。

中途視覚障害者に第二の人生を歩かせる技術を持つ視覚障害リハビリテーションワーカーが厚生労働省から資格認定され、何処でも活躍できることが私どもの悲願です。

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